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勝手に議論 アーカイブ

2007年03月15日

和み論

癒し と 和み は何が違うのだろうか。

和むとは、気持ちがおだやかに、なごやかになる。ということ。
実は読み方違いもあったり。
にこむ、のどむとも読むらしい。大体同じ意味。

癒すとは、病気や傷などをなおす。悲しみや苦痛をなくす。という意味。
かなりデトックスな感じ。
クスリを必要とするような大掛かりな言葉。

和みは、もっと近い位置にいてふとした瞬間に気づいて笑顔になったり
ほっとしたりするもの。
和みは生活にまぎれてて、それに気づくのは、心が穏やかな証拠。
和みは京都。
和みはただそこにあって、自分から存在を訴えたりはしてこない。
和みは気づいてあげなくちゃ、和みにはならない。

私が最近、求めるのは「和み」である。
価値観の問題だけど、たくさん感じることって余裕がないと難しい。
和みをたくさん作れるようになりたいなあ。
たくさん気づけるようになりたいなあ。

2007年03月24日

助けられているというよりは救われながら生きている

こう思った理由として以下の点が挙げられる。

・人はいつもいつも助けようとしてなんかいない。
・助けることは結局は偽善である。
・助けようと思わせることができるほど、人間ができていない。
・けれど誰かのおかげで生きている。

誰かのちょっとした一言や、態度、表情に救われることがよくある。
精神的にまいっているときも、体力的にきついときも、そういうことで
少し復活できたりする。

今日は、ある人の笑顔になんだか救われるなあと感じた。
彼はそんなこと何も感じていない。
いつもどおりに私と接しただけだと思う。
私自身、それに具体的にどう救われたかなんて答えれらないけど
話ができてよかったと、思えるだけでそれは私にとってのプラスとなる。

誰かの助けになっているというとき、
その人の助けになっているということに、救われているのかも。

2007年03月28日

器用と要領がいいは違う

器用な人と要領がいい人は違うという、ひとり議論。

◎何かを頼まれたとき。
器用な人
・120%で提出できる。
要領のいい人
・80%の工数で完了できる。

◎難しいことを頼まれたとき。
器用な人
・確実にやり遂げる。
要領のいい人
・代替案を探せる。

◎失敗したとき
器用な人
・怒られる。
要領のいい人
・なんでか怒られない。

器用な人は、何事も完了させる。
要領のいい人は、処理できる。

そんな違い。
私はそのどちらでもないので、あんまり関係ないけど。。
極論、天才と秀才の違いみたいなもんかーと。

そして、秀才は、天才に憧れる。

2007年05月25日

自分に厳しいということとは

自分に厳しい人は、サドなのかマゾなのかと、不意にちょっと思った。
自分にはSの気持ちだけどそれを受ける自分はM?

というような。。

そういうものを超越してしまってるのかもしれないが
傍からみればどちらかというと、Mに映るような気がする。
でも、本人と会話してみるとあれ、そうでもないかもと思ったりするわけで
どっちなんだか、という疑問を抱いたわけである。

自分に対し、多くの課題を与える気持ちというのはSっぽいし
それを受ける自分はきついからやっぱM。
そういう人は、人からの課題に対してではなく、燃える(萌える)のは
自分自身で立てた課題のみだったりする。
人から受けた課題も、自分なりの解釈と自分なりの成果物を以って結果となる。
満足となる。その一瞬は。

また次の課題が自分自身に課せられるので終わりはない。

自分本位であるのかも。
というか、ナルシストなのかもしれない。
成長意欲が高いといったら聞こえはいいけど、団体行動・団体生活は苦手そうだな、と。

2007年07月24日

A・I・D・M・Action 7.29

参議院選挙があります。

前回の選挙くらいから、Web上でのPRが活発になった。
Youtubeに政見放送をアップしたり(規制されてるということだが)、
今回はニコニコ動画で民主党小沢代表が政権放送を見ることができたりした。

自民、民主などその他の政党のサイトでもいろいろなPRがなされている。
http://www.sankei.co.jp/seiji/senkyo/070722/snk000.htm

総務省などによると、人の視覚に訴えかけるものはすべて、頒布が禁じられている「文書図画」と解釈される。このため、候補者名や政党名などが記されたHPやブログ(日記風サイト)の画面も公示日以降は公選法の規制を受け、更新できなくなるという。
「『選挙運動』と『政治活動』を区別する明確な基準はない」
これが問題視されている。 詳しくはわからないが、言い方次第でなんとでもなるみたいな感じなのだと思う。
「明らかに公選法が時代の趨勢と合わなくなっており、ネットの有効利用や規制について体系的なルール構築が必要」
ネットでの選挙活動に対しては今回の選挙後にはルールが決まると感じる。多少、荒っぽいやり方だがルールがない部分にルールを作るにはこういう方法しかないのかとも思う。

自民はサイトでPodcastとかやってるし、民主は漫画があったりする。
若い有権者向け。
年配の方々はいつもどおりの街頭演説を聞き、若い有権者はサイトで動画などを見る。
年代別の手法をとっていると考えれば理にかなっているはなしだ。

A・注意をひくのは今回は特に年金や税金。いや、選挙公示がそれなのか。
I・興味を持たせるのはマニフェスト?
D・欲求は年金制度どうにかして!とか税金下げろだとか。それかこの政党が、この議員が議席を獲得してほしいということ。
M・メモリーは演説や政見放送、CMなどの動画。
A・アクションは投票。

あと、今回は地震もあったからそういう対策も重要視する有権者も増えるのかもしれない。

そうだ、選挙、行こう。

http://jp.youtube.com/watch?v=hqKJ8tI_5JM

2007年08月27日

前向きについて

働いている以上、前向きであれ。と思う。
自分自身は人一倍後ろ向き志向で、それでもいいんじゃないかと思っていた。

働くということは思う以上に生活の大部分を占める。
後ろ向きでしかいられない状況では、できることもうまく行かなかったりする。
そして出てくるのは愚痴になる。

そういった自分は好きではいられないので、前向きでいるしかないと
考えるようになった。
強制的に前を向く。

そのとき振られた仕事が自分にとって興味がないことでも、
その先に光があるなら前向きでいられるに違いない。
誰かのために、というのも大きな理由になる。
家族がない場合には、上司だとか、同僚だとかそうったものになりうる。

でも。
何にも当てはまらなかったらどうする?
後ろ向きでしかいられない状況になったら。

そんなときは居場所変えてもいいと思う。
そこにいなくてはいけない理由なんかない。
あなたや私がいなくなったところで何かが変わるなんて大間違い。

あなたはあなたの、私は私の居場所を見つければいい。
より前向きでいられる場所を見つければいい。
自分にとってそれが幸せであればよりいい。
それを周りの人たちが祝福してくれたらいいのにね。

2008年04月10日

「アート」の定義

アーティスト・ファイル 2008―現代の作家たち
という展示を国立新美術館に見に行った。

アートというのは難しい。
おそらくアートには定義がない。何でもありっていうこと。
絵画だけでなく写真、ショートフィルム、造形。

とりあえず、ムービーってアートなのかという疑問。
展示してあったショートフィルム作品は、ストーリーがあった。
内容は明解ではない、それがアーティスティックではあるけれど
「ぽい」という感じなだけなのでは、と思った。
ショートムービーならもっと面白いものがあるし、アートといってしまうのは
それはちょっと。。そのほかの作品も、現代アーティストの作品っていうのに
感動がないのです。
ぴんとこない。
深みとか、歴史が感じられない。
これならマンガやアニメ、映画、小説そういうもののほうが価値を感じられる。

21世紀美術館にいったときも感じたことだけど、
芸術というよりかはアトラクションで、おもしろいのはそうなんだけど
芸術っていうくくりではないと思う。
少なくともわたしの中では。
デザイナーであったり、クリエイターだったりっていう呼び方ならわかるなあ、と思う。
実際、すごい広告クリエイターだったり、デザイナーの方々の商品は作品なのだし。

私は好きな画家がいるけど、そういう人の作品を見るときの心動かされる感じ
とは、違う。
アートってアイデア勝負じゃないと思う。
なんだか自分を削って搾り出して、命を削ってでも塗りこめていくようなもの
だと思う。
古いのかもしれないけど、そう思う。

2008年05月11日

世界は言葉でできている

ような気がしている。
すべての根源は言葉にあると思う。
それが最近怖いなあと感じている。

すごいでかい壁にぶつかった感じだ。

なんか一生のテーマになるような気がする。

それ、そう言ってるけど、何の根拠があるの?
でも、誰かは、その言葉に救われたり、傷ついたりしている。
言ってみるとそういう話。

でもこのパターンがすべてのことにつながっていて、影響を受けたあの人の
影響を受けたあの言葉も、「台詞」にすぎない。
そういうこと。

わかりにくいか。

例えば私がAを救う、と言ったとする。
Aは私に救われる、と思う。
私はAを救えるという根拠はない。
でも、Aはその言葉を信じる。
Aは、その何気ない言葉に計り知れない影響を受ける。

こんなの、うそだ。

結果オーライとか、そういうのじゃなく。
なんか、なんか。
おかしい。

納得いかない。

よくある、「夢は必ずかなう」とか、うそじゃん。
がんばるに越したことはないけど、無理なことは無理。

共感をしてほしいために、吐く言葉。

ペンは剣よりも強し。

きっとすべての発端は言葉だと思う
事実や実力を、伴う、伴わないは関係なく

こうやって書いていても、それに意味があるのかわからない
単語単語が砂みたいにさらさら崩れてしまうイメージ。

そういえば、高校のときだ。
なんだか、ごたごたした恋愛問題を抱えたとき、付き合うってなんだろうか。
ということで悩んでいたことがある。
完全に青かったのはさておいて、同じく言葉の問題だったのです。
好き同士なら、それでいいんじゃないか?って。
「彼氏彼女」っていう言葉でつながないといけないっていう規則はない。
言葉でつながっているような関係なんて信用できるかと。
そう思っていた。
けど、実際世の中は、そんな法律はないけどもそういうルールになっていて
付き合ってないけど体の関係があるととセフレじゃんってなるよね。
遊ばれてるよーやめなよってなる。そこに愛があってもか。
その上、そういう言葉でつながれた状況があると、浮気っていう現象もおこる。
書面で契約を結んでるわけじゃないのに。
でも、それに対応するように人間はプログラムされているかのように動く。


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